ベルリンの壁が崩壊してから20年を迎えた9日、さまざまな記念行事が行われた。
ドイツ政府主催の記念式典では、メルケル独首相のほか、米英仏とロシアの首脳、
ゴルバチョフ元ソ連大統領やワレサ元ポーランド大統領が市民らと壁崩壊を改めて祝った。
この日はまず、旧東独育ちのメルケル首相がゴルバチョフ、ワレサ両氏とともに、
最初に検問所が開放された東西ベルリン境界の橋を訪問。
この後、ブランデンブルク門前広場で約1万5千人が参加する政府主催の式典が開催された。
メルケル首相は当時、東ベルリン科学アカデミーで物理学者として勤務。
壁崩壊4日後の1989年11月13日、講義のためポーランド行きの列車に乗っていた。
友人に「次にベルリンで会うときには、東西ドイツは一つになっている」と言われて驚いた。
そんなにも早くドイツ再統一が果たされるとはメルケル首相も同僚も信じていなかったという。
メルケル首相は英紙フィナンシャル・タイムズに、
「ポーランドの結束が大きな推進力となった」と語り、
自主管理労組「連帯」が東欧の民主化に向けて果たした役割を称賛。
また、オーストリアとの国境を開き、多数の旧東独市民を西側に脱出させる機会を作ったハンガリーについても、
「その貢献は決定的な意味を持った」と強調した。
ルーマニアについても「劇的な大衆運動が展開された」などと述懐した。
冷戦終結に道を開いた84年のサッチャー元英首相とゴルバチョフ氏の初会談に同席したジェフリー・ハウ元英外相は、
「あの時誰一人として次に何が起きるかを予測することはできなかった。
米英仏ソの首脳より大衆が主要な役割を果たした。
ただ、私は東西ドイツが分断したままでは欧州の統合は不可能と考えていた」と振り返った。
85?89年まで駐ユーゴスラビア英国大使、95?2000年まで駐ロシア英国大使を務めたアンドリュー・ウッド氏は、
「壁崩壊後、旧ソ連の核兵器やコソボの問題などがあったが、最終的にはみんなが勝者になった。
東西ドイツが分断されたままだったら緊張関係が欧州に残り、極めて危険な状態になっていただろう」と話した。